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プロ意識には”対価以上の仕事(責任)をしない覚悟”も含まれるのでは

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こんにちは!フレッチです。

しまむら土下座事件で、土下座させた客のほうが強要罪で逮捕されたそうで。

テレビを持っていないと世相に疎くなっていけませんね。。。

ところで、この事件を受けて、一つ考えたことがあります。

それは、仕事をする上での”プロ意識”について。

そもそもプロフェッショナルとは何か

プロフェッショナルというのは非常に曖昧な意味を持つ言葉です。

近年では、その道の一流の人や、ある技能や職能の専門化を指すことが多いです。

一般的なサラリーマンをプロフェッショナルと呼ぶ人は少ないでしょう。

しかし最もシンプルな意味はおそらく、「対価をもらって何らかの活動をすること」なのではないかな、とおもいます。

LDOCEでは”professional”の3番目の意味として”PAID”とありましたので、対価をもらうことがすなわちプロであると捉えて問題ないでしょう。

対価はあくまで対価なのである

対価というのは、たとえば私は時給900円をもらって販売員としてアルバイトをしています。

これは、私の1時間の労働には900円の価値があるということです。

実際には多少の波というかムラはあるでしょうが、長期間で平均すれば、私の1時間に提供する労働と、受け取る900円は等価であるということです。

つまり、私が提供した労働に900円以上の価値があるならば、900円の時給は対価としては少ないということになります。

逆に、時給900円をもらいながら、提供する労働に900円以下の価値しかないのであれば、それはもらいすぎです。

このように、便宜上はある程度簡略化されているとはいっても、提供する労働とそれに対する対価はほぼ等価である必要があります。

対価と等価以上の仕事はしない、責任は取らないという覚悟

プロ意識を語るとき、だいたいは仕事に対する責任だったり、品質だったり納期だったりということがフォーカスされます。

しかし、”プロだからこそやらない”ということも、立派なプロ意識の1つだと私は考えます。

たとえば↓こういう記事があります。

コンピュータの修理をタダで引き受けてはならない10の理由 – ZDNet Japan

対価が払われないのであればそれなりの仕事しかしない、もしくはそもそも仕事をしないというのは、当然のように思えますが、実践されている方は少ないのではないでしょうか。

対価をもらって何かをする人全員が、このような意識のもとで働くのであれば、また対価を払う側にもこのような意識があれば、不当な要求をするクレーマーやいわゆるブラック企業なんてものも減ると思うのですがそれは理想論でしょうかね。

かく言う私は、アルバイトでは責任が取れない仕事や時間あたり900円の価値を大幅に超えそうな仕事については、さっさと社員に丸投げしています。

丸投げしたことで手が空くなら、横で見ていて勉強したりもしているので、いくつかの仕事についてはやって出来ないことはないのですが、それでも丸投げします。

アルバイトでは取れない責任を取るのが、アルバイトよりも高い対価をもらう社員の仕事であり、平社員では取れない責任を取るのが、平よりも高い対価をもらう役職者の仕事だと考えるからです。

みなさんはどう考えますか?

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