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”汝の敵を愛せ”と忠臣蔵と坂口安吾

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新約聖書には、汝の隣人を愛せよとある。

また、汝の敵をも愛せよという。

ならばなぜ、キリスト教文化圏であるはずのヨーロッパ諸国が、現代ではアメリカを始めとするNATO諸国が、イスラム文化圏の国と終わらない喧嘩をしているのか。

思い出したのは、坂口安吾のふたつの随筆、『堕落論』と『日本文化私観』である。

『日本文化私観』には、次のような一節がある。

安吾はロベール先生の歓迎会に呼ばれた折、コット先生による思いがけないクレマンソー追悼スピーチに思わず笑ってしまった。
大まじめにスピーチしていたコット先生は、安吾を睨みつけたのである。

その時の先生の眼を僕は生涯忘れることができない。先生は、殺しても尚あきたりぬ血に飢えた憎悪を凝こらして、僕を睨にらんだのだ。
 このような眼は日本人には無いのである。僕は一度もこのような眼を日本人に見たことはなかった。その後も特に意識して注意したが、一度も出会ったことがない。つまり、このような憎悪が、日本人には無いのである。『三国志』に於ける憎悪、『チャタレイ夫人の恋人』に於ける憎悪、血に飢え、八ツ裂ざきにしても尚あき足りぬという憎しみは日本人には殆んどない。昨日の敵は今日の友という甘さが、むしろ日本人に共有の感情だ。凡およそ仇討にふさわしくない自分達であることを、恐らく多くの日本人が痛感しているに相違ない。長年月にわたって徹底的に憎み通すことすら不可能にちかく、せいぜい「食いつきそうな」眼付ぐらいが限界なのである。

イスラム世界に対するときの西欧人の原動力は、この”殺しても尚あきたりぬ血に飢えた憎悪”なのではないか。

また、それに対抗するイスラム世界の人々の裡にあるのも、同じ憎悪ではないか。

しかしながら、これは大変おもしろいことであるが、キリスト教の教典である新約聖書には、冒頭に書いたように、汝の敵を愛せとある。

主の祈りには、”我らに罪を犯す者を我らが赦すごとく、我らの罪をも赦し給え”とある。

まさに愛と赦しの宗教たる所以だ。

さらに興味深いことには、イスラム教の教典であるコーランにも、”異教徒と仲良くせよ”という意味の箇所がいくつもあるそうなのだ。

そんなに赦しや愛、和解を重んじる宗教同士が、何世紀にも渡っていがみ合っている。

さて。先の引用には、次の段が続く。

伝統とか、国民性とよばれるものにも、時として、このような欺瞞ぎまんが隠されている。凡そ自分の性情にうらはらな習慣や伝統を、恰あたかも生来の希願のように背負わなければならないのである。だから、昔日本に行われていたことが、昔行われていたために、日本本来のものだということは成立たない。外国に於て行われ、日本には行われていなかった習慣が、実は日本人に最もふさわしいことも有り得るし、日本に於て行われて、外国には行われなかった習慣が、実は外国人にふさわしいことも有り得るのだ。

”殺しても尚あきたりぬ血に飢えた憎悪”は、時代劇にはよく出てくる。

中でも代表的なのは、安吾が『堕落論』で書いている、忠臣蔵である。

主君の恨みを、家臣が浪士になってからでも晴らすという、それはもう途轍もない憎悪だ。

しかし、果たして、吉良を討つその時、大石ら四十七士の目付きは、コット先生の目付きであったのだろうか。

私はそうは思えない。どちらかと言えば、体裁を整えるために頼むから死んでくれというような、懇願に近い目つきだったのではないだろうか。

四十七士の原動力は憎悪ではなく、名誉と使命感だったのではないか。

名誉が関係なければ、彼らは吉良を討つ動機を持ち得たのか。

安吾は堕落論で次のように書いている。

武士は仇討のために草の根を分け乞食となっても足跡を追いまくらねばならないというのであるが、真に復讐の情熱をもって仇敵の足跡を追いつめた忠臣孝子があったであろうか。彼等の知っていたのは仇討の法則と法則に規定された名誉だけで、元来日本人は最も憎悪心の少い又永続しない国民であり、昨日の敵は今日の友という楽天性が実際の偽らぬ心情であろう。昨日の敵と妥協否肝胆相照すのは日常茶飯事であり、仇敵なるが故に一そう肝胆相照らし、忽ち二君に仕えたがるし、昨日の敵にも仕えたがる。生きて捕虜の恥を受けるべからず、というが、こういう規定がないと日本人を戦闘にかりたてるのは不可能なので、我々は規約に従順であるが、我々の偽らぬ心情は規約と逆なものである。日本戦史は武士道の戦史よりも権謀術数の戦史であり、歴史の証明にまつよりも自我の本心を見つめることによって歴史のカラクリを知り得るであろう。今日の軍人政治家が未亡人の恋愛に就ついて執筆を禁じた如く、古の武人は武士道によって自らの又部下達の弱点を抑える必要があった。

水は低きに流れ、人の心もまた低きに流れる。

狩猟民族であった大陸の人々の心は、ともすると憎悪と敵意に流れてしまう。

だからこそ、理想や規範として、愛と赦しのキリスト教、寛大さのイスラム教が要請されたのではないか。”忽ち二君に仕えたがるし、昨日の敵にも仕えたがる”からこそ、日本の武人が武士道を要請したように。

元来寛容である日本人の間に、どれだけ迫害されてもキリスト教が普及したのも、その教えが日本人の本質に合致していたからであろうし、西洋人が日本の武士道精神に強い魅力を感じるのも、彼らのホンネを誇りと名誉を持って正当化できる思想だからなのではなかろうか。

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